カルピス誕生

カルピスといえば日本人なら一度は飲んだことのある飲み物でしょう。
子供から大人になるにつれ「ピュアなカルピス」→「ソーダ」→「サワー」と
変化する飲み物としても知られております(笑)
で、このカルピス、誰が作ったのか今まで知らなかったんだけど、
今日あるテレビ番組でやっていて知ることができました。


カルピスが発売されたのは1919年7月7日の七夕の日だったそうです。
カルピスの象徴でもある水玉模様は、「天の川の銀河の群星」をイメージ
したもので発売当初は青地に白の水玉でした(後に白地に青に変更)。
初めて世に出たカルピスは化粧箱入りで、黒いビンでしたが、1922年
から水玉模様のデザインになったそうです。


カルピスを作ったのは三島海雲というお坊さん。彼は25歳でモンゴルに
渡り、そこで地元民から貰った「酸乳」に感激し、乳酸菌の入った食べ物
を作れないかと考えました。はじめはキャラメルにしましたが全く売れず、
立ち上げた会社は赤字続きでした。そんなある日研究員が脱脂粉乳に砂糖
を加えて一日経ったものを「腐っている」と捨てていたところに海雲が通り
かかり、仏教精神から勿体無いとその液体を飲み干しました。お腹を壊すと
思いきや、この脱脂粉乳と砂糖が上手く化学反応を起こし、あの酸乳が出来
上がっていたのです。これがカルピスの始まりでした。カルピスは今や世界
の標語となっている「MOTTAINAI」精神から生まれたのでした。


かくして1919年に発売されたカルピスは、1923年に起きた
関東大震災で大きな転機を迎えます。かろうじて震災の被害を逃れた
ラクトー株式会社(カルピス株式会社の前身)は、水道も無事でした。
「これならカルピスの生産も続けられる!」と社員は皆安堵しました。
しかし、海雲はこの震災後の貴重な水道水をカルピスにして被災者に
分け与えようと言い出したのです。社員は当然反発しました。
「カルピスは今や貴重な会社の財産だぞ。それを無償で与えるなんて」と。
そこで海雲は言いました。
「ではそのカルピスを私が買い取って皆に分け与えましょう。それなら
文句はないでしょう。」


こうしてカルピスは震災の被災者に分け与えられたのでした。
社員は「この人はお坊様なのだ。経営なんてできる人じゃなかったんだ」と
諦めました。
ところが、震災後多くの人々から感謝の言葉と注文が寄せられました。
海雲の行いは、奇しくもカルピスの最高の宣伝となっていたのです。
こうしてカルピスは世間に広く認知されるようになり、現在に至るわけです。



ところで、「カルピス」という名前の由来ですが、これは「カルシウム」
サンスクリット語で「最上の味」を意味する「サルピス」を合わせた造語だ
そうです。この名前を考えたのはあの山田耕作。大物が名付け親でした。



う〜む、いい話じゃ(泣)カルピスは仏教の精神から生まれ、仏教の精神から世に
広まったのですな〜。勉強になりました。是非精進料理にはカルピスを!(マテ
こういう誕生秘話って大好きなんですが、個人的にはクロネコヤマトの宅急便
最高です。
特に全国翌日配達の話は燃えます。涙します。家に来るヤマトの配達員さんの
背中がカッコよく見えます。僕も来年から社会人ですが、カルピスや宅急便の
ように、人々に広く愛される商品やサービスを創り出していけたらいいな、と
思いました。ではでは。



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三島海雲の言葉
「事業は金がなければできないが、正しい確たる信念で裏づけられた事業には、
必ず金は自然に集まってくる。」